*東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業、京都市芸術大学美術学部教授を務めた 渡辺恂三 の シルクスクリーン作品 です。
これは、1982年に制作された 日仏会館シルクスクリーンポスター を額装したものです。
刷込みサイン入り 【真作保証】 万が一「真作」でなかった際には返品をお受け致します。
*渡辺恂三 ファンの皆様、作品を探されていた方、作品を気に入った方、ぜひこの機会にコレクションに加えてください。
・作家名:渡辺恂三(わたなべじゅんぞう)1933-2013
・作品名:??
・技法:シルクスクリーン
・ポスターサイズ:約51.5 cm ×約36.5 cm
・イメージサイズ:約28 cm ×約32 cm
・額装サイズ:約62.5 cm×約45.5 cm (前面:透明シート)
・制作年:1982年
・エディション:??
*作品右下に刷込みサインがあります。
*作品の状態:概ね良好です。 額も良好です。
画像でご確認下さい。
渡辺恂三(わたなべじゅんぞう)1933-2013
洋画家の渡辺恂三は8月12日死去した。享年79。
1933(昭和
8)年
12月
2日、東京市
(現、東京都区部
)に生まれる。幼少期は算数や理科が得意だったため科学者になるつもりで、兵器の絵を描き、木を削って飛行機を作り、戦争に舞台にした長編マンガも制作していたという。東京都立戸山高校在学中から絵画を制作、阿佐ヶ谷洋画研究所や新宿・コマ劇場裏辺りにあった研究所に通う。このころ、風間完や赤穴宏が好きで、大学一浪の時には朝倉摂の紹介で、赤穴と会っている。また日本国際美術展などで目にしたベン・シャーンと国吉康雄にも影響を受けた。東京藝術大学に入学後、
56年銀座・村松画廊で初個展を開催。同年第
20回新制作協会展に
3点を初出品し「ユダ」「ヨブ」が入選、旧約聖書から題材をとり、デフォルメした人物群像で人間の不条理を描く。同年東京藝術大学同期の稲葉治夫、高山尚、豊島弘尚とグループ展「新表現」を結成し第
1回展を開催。
57年
東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。同年第
21回新制作展で「策謀」により新作家賞を受賞
(1958年第
22回展は「仏滅」「南無」で、
61年第
25回展は「記憶の裏側」で同賞受賞
)。このころ題材をキリスト教から仏教へ移行するとともに、支持体にベニヤ板を用いたり、紙粘土や木版の反古紙、麻紐などを用いたミクストメディアの表現を試みる。
60年第
4回安井賞候補新人展に「法螺」「噂」を推薦出品。
61年第
1回丸善石油賞に「賢者の論点」を出品。
62年第
2回丸善石油賞で「内訌」が佳作賞を受賞。
63年
9月第
3回パリ青年ビエンナーレ
(パリ市立近代美術館
)に「内訌」「人格」などを招待出品。
60年代に入ると、支持体に厚塗りした紙粘土を引っ掻くなど非具象の作品を展開。
63年新制作協会会員に推挙される。
64年第
15回記念選抜秀作美術展に「死んだ子の年をかぞえる」を招待出品
(1966年にも招待出品
)、他に第
6回現代日本美術展の招待部門に「論争を積む」「世上騒然」
(後者は課題作「東京オリンピック」特陳、
1965年、
66年、
68年、
69年にも招待出品
)、現代美術の動向展
(京都国立近代美術館
)、今日の作家展
’64展
(横浜市民ギャラリー
)などに出品。また同年中国生産力及貿易中心
(台湾
)で講師を務めるため、初めての海外渡航をする。このころ、晩年まで展開してゆくペン状の描具による線と明るい色面、歪んだ形態の女性像などによる戯画調の作品スタイルを確立。
67年第
1回インドトリエンナーレに「人間幾何」「ロンド」を出品。
69年第
5回国際青年美術家展において「車の中で」でストラレム優秀賞第
1席を受賞。同年文化庁芸術家在外研究員として渡仏、滞在中にパリ、ギャルリー・ランベールで個展を開催。
72年、東京造形大学を退職、再度渡仏
(1981年まで
)。
72年より日本橋・春風洞画廊で個展を開催。
76年サロン・コンパレゾンに出品
(1978年、
80年にも出品
)、カンヌ版画ビエンナーレ、リト部門第
1位賞受賞。
80年日本秀作美術展に出品
(以後
1985年、
88年、
93年、
2001年、
03年にも出品
)。
85年、具象絵画ビエンナーレ
(1987年、
89年にも出品
)。
86年池田
20世紀美術館に回顧展「渡辺恂三の世界」を開催。その他の企画展として、埼玉県立近代美術館
10周年記念展「アダムとイブ」
(同美術館、
1992年
)、日本の美術・よみがえる
1964年展
(東京都現代美術館、
1996年
)、旅
―異文化との出会い
(国立新美術館、
2007年、文化庁芸術家在外研修制度
40周年記念
)などに出品。
1998(平成
10)年京都文化功労賞受賞、
2001年第
14回京都文化賞受賞、
04年京都文化功労者顕彰。
11年第
75回記念新制作展の展覧会委員長を務める。第二次世界大戦以後の現代絵画を、技術拡散と様式混交の「マニエリスムの絵画」と捉えて絵画制作に取り組み、初期作品から晩年まで技法の実験と変遷を繰り返しながら、自身の表現を追求した。
著編書に『新・技法シリーズ デザインスケッチ』(美術出版社、1966年)、挿絵にバリー『ピーター・パン』(集英社、1966年、母と子の名作童話24)、山本太郎詩集『スサノヲ』(筑摩書房、1983年)、絵本に『こっぷこっぷこっぷ』(福音館、1995年、こどものとも.0.1.2 7号、かみじょうゆみこ文)、論文に「表示方法に於ける透視図法の実際的問題に就て」(『千葉大学工業短期大学部研究報告』第2巻第2号、1963年、協力:赤穴宏、川口泉、佐善明)がある。千葉大学工業短期大学部工業意匠科助手、同大学工学部工業意匠学科助手、東京造形大学美術学科助教授、京都市芸術大学美術学部教授、宝塚造形芸術大学教授で教職を務めた。
(出典:東京文化財研究所)