14×21.6㎝
全38丁
【題箋】『夜詠百五十首 全』
【内容】一般的な歌集の構成に則っている。
春の部 1丁表
夏の部 5丁表
秋の部 9丁表
冬の部 13丁裏
戀の部 18丁表
雑之部 21丁裏~38丁表
28丁表【画像8参照】に
人壽百歳七十稀~中略~中心二十歳餘年~後略
との詞書きあり。後述「日立市の歴史点描」に登場する大内正敬の「文化五年二十五歳」と合致している。
【刊期等】38丁裏
干時文化五(1808)戌辰歳
さ月二日■■
正敬
【因みに】朱筆が至る所に加えられているので、誰かに添削を頼んだようである。もし彼が「日立市の歴史点描」の人物ならば、彼が庄屋をしている間に素養として和歌を学んでいたことはあり得るからである。
【参考】この出品歌集の作者「正敬」について。
ネットで調べると
大内正敬(まさよし)《「日立市の歴史点描」に依る》がヒットした。彼がその本人とは限らないが、「日立市の歴史点描」を概観すると、全くの見当違いとも思えないので、以下に記し置く。
「水戸藩の農政学者」とあるが、後に『花柵和歌集』・『水臣和歌集』も編んでいるので、それほどの違和感はない。
大内正敬 天明4年(1784)生~嘉永7年(1854)歿 享年71
~以下「日立市の歴史点描」より引用~
水戸藩の農政学者。天明4年(1784)6月、常陸国久慈郡留村(日立市留町)庄屋の政衛門重政の長子として生まれる。
著書「為学大意」で自らの略歴を「予年七歳、祖君ノ膝ニ抱カレテ、常ニ孝経、百人一首ナトノ、口授ヲ受シヨリ、先考(父)ニ侍シ、四書五経ノ、句読ヲ授カリ、若冠(二十歳)ニ及ンテ、藩府(水戸)ニ詣テ、立原翠軒先生ヲ謁シ」等と記している。
享和3年(1803)水戸の立原翠軒(『大日本史』の編纂に力を注ぐ)の門に入る。(19歳)
帰村し留村で15年間庄屋をつとめる。
文化元(1804)21歳~文政2(1819)36歳
『夜詠百五拾首』 文化5(1808)年跋 25歳の時
文政2年(1819)、36歳のとき、紅葉組郡奉行となった
天保14年に彰考館に入り、大日本史の編さんに従い、
「花柵和歌集」(嘉永元(1848)年)64歳「水臣和歌集」編
嘉永7年(1854)7月19日歿。享年71。
※全体的に、経年によるくすみ、汚れあり。
※経年による紙の劣化、変色、斑点状の染み、多数あり。
※梱包材の再利用に努めています。ご理解下さい。
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