【大名品】◆『千宗旦(元伯)作 茶杓(速水流3代宗覚極茶筒入り) 速水流4代宗汲極箱 』 仕覆 茶道具◆検)千利休 千道安 豊臣秀吉 織田信長 前田利家 古田織部 細川忠興 徳川家康 福島正則 狩野永徳 松尾芭蕉 小堀遠州
■商品説明■
【大名品】◆『千宗旦(元伯)作 茶杓(速水流3代宗覚極茶筒入り) 速水流4代宗汲極箱 』 仕覆 茶道具◆
◎速水流3代宗覚極茶筒入り
◎速水流4代宗汲極箱入り
【サイズ】
茶杓:全長:約17.8cm 幅:約1cm
※素人採寸につき若干の誤差はご容赦下さい。
【状態】
経年劣化による傷み、汚れ等御座います。
※詳細につきましては画像にてご確認下さい。
【付属品】
◎速水流3代宗覚極茶筒
◎速水流4代宗汲極箱
◎仕覆
◆千 宗旦(せん の そうたん、せん そうたん、1578年2月7日(天正6年1月1日) - 1659年1月11日(万治元年12月19日)◆
茶人。字は元伯。道号は元叔。別号は咄々斎・咄斎。乞食宗旦(こじきそうたん)の異名をとる。父は利休の後妻千宗恩の連れ子千少庵、母は利休の娘お亀であり、少庵の京千家を継いだ。千家3代。宗旦流(三千家)の祖。
1578年(天正6年)、少庵の子として生まれた宗旦は、10歳の頃に祖父利休の希望で大徳寺に喝食として預けられる。父・少庵が利休の後妻の連れ子だったことから、家督争いを避けるために仏門に入れられたと言われている。春屋宗園のもとで禅の修行を積み、得度した。
1594年(文禄3年)、千家再興が叶ったことから、少庵の希望で還俗し、弟子らとともに利休流のわび茶の普及に努めた。この際、豊臣秀吉が利休から召し上げた茶道具を宗旦を名指しして返したことから、伯父の道安ではなく宗旦が利休の後継者と目されるようになったとも言われている。
1600年(慶長5年)頃、少庵が隠居したのに伴い、家督を継いだ。祖父の利休が豊臣秀吉により自刃に追い込まれたことから政治との関わりを避け、生涯仕官しなかった。茶風は祖父利休のわび茶をさらに徹底させ、ために乞食修行を行っているように清貧であるという意味から、「乞食宗旦」と呼ばれたという。
◆速水流(はやみりゅう)◆
速水宗達に始まる茶道の流派。家元は滌源居(てきげんきょ)と称して京都市北区にある。同門組織として滌源会がある。
裏千家から分かれた流派であるものの、聖護院門跡との密接な関わりにより公家文化を基調とした流儀となっている。
宗達は流派に拠らない学術的な茶道の教授体系を考案しようとしたらしく、莫大な量の草稿を残している。その一部は宗達の死後、2代宗曄によって整理されて『茶旨略』『喫茶指掌篇』などとして、また3代宗筧により『茶則』として刊行されている。滌源居は流勢盛んであった3代宗筧のときに幕府の命により釜座出水から立ち退き、北野の現在地へ移った。
【その他】
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