
寛永通宝 背千 母銭です。
基本的に穴銭の鋳造記録は残っていないのですが、例外的に仙台石巻の鋳造記録は、古寛永の時代から幕末まで残っているみたいですね。
この銭座で製造されたものを明らかにして、後の銭座も決めていくというのがよさそうですね。
全銭座の歴史的事実を解説するのは不可能ですし。
(2026年 4月 26日 16時 34分 追加)裏面の線は直線状の異物落下により、砂に跡がついてしまった、製造上のミスです。
これはエラーと呼んでいいのかどうかわかりませんが、比較的よく見ます。
(2026年 4月 26日 18時 45分 追加)あと、水戸で明和、安永期限定ですが、銭座の詳細な記録が残っていますね。
これらも、その時代の具体的事実を知るために役立ちそうですね。
(2026年 4月 26日 18時 48分 追加)仙台叢書. 別集 第2巻 仙台貨幣史
金局公用誌 : 鋳銭場関係資料. 1
銭座についてこれだけ資料がそろってるのはここだけですな。
(2026年 4月 26日 22時 39分 追加)歴史的事実は仙台銭鋳座の歴史を代表例にして書くのがよさそうですね。
当時の銭鋳座をしきってた人が書いたものなので、第一次資料ですな。
仙台銭には製造絵巻も残っていて、豊富であり、この銭鋳座について知ることが、当時の銭鋳座について知る最大の方法ですね。
(2026年 4月 26日 22時 56分 追加)通常江戸期の文章は毛筆で書いていて読めないのですが、石巻市が高いカネはらって、漢字に直してくれたみたいですね。
それでも古文ですが、古文ならなんとか翻訳できるので100ページぐらいありますが、ゆっくり翻訳を楽しみますか。
この資料はおそらく銭座で一番重要と言ってもいいぐらいの資料だと思うのですが、注目されていないのは不思議不思議。
(2026年 4月 27日 13時 22分 追加)まあ、小川せいほうろうは、無理に分割していろんな名前を付けて儲けようという半ば詐欺師のような奴かな。弟子は単にバカなだけだったんだろうけど。
せいほうろうの歴史も昔「貨幣」という雑誌を流用してんのがほとんどだろ。
くそくだらん奴の分類は強制シャットアウトかなぁ。
とりあえず、幕府や藩が出した法令は全部まとめておくか。
(2026年 4月 27日 13時 26分 追加)う〇k系列図
小川せいほうろう。
増尾富房
谷巧二
山添春男
こいつらは私が本を出した後は、笑われる対象としての価値しかないかな。
(2026年 4月 27日 13時 41分 追加)水戸鋳銭座資料2冊
金局公用誌 : 鋳銭場関係資料2冊
これらが最も重要な銭座についての記録。
この4冊は確実に現代語化しないといかんな。
(2026年 4月 28日 11時 07分 追加)というか、AIで東大理3主席って。。。
自分がやろうとしてる研究も、AI様の前では無意味になる時代がくるんかなぁ。
夢ないわ。
(2026年 4月 28日 11時 48分 追加)ためしにAIに慶長小判の分類やらしてみたらボロボロで当面大丈夫そうですな。
最初からオリジナル能力があるわけでなく、既存の知識を組み合わせる能力が高いだけみたい。
(2026年 4月 28日 21時 31分 追加)青木昆陽の「鉄銭論」も重要ですね。
このころは銅価格が高くて寛永通宝の品質が下がり、小型化してしまい、幕府の統制がきかなくなっていたようですね。
ゴミ銅銭を作られるぐらいならと、鉄銭が作られたようですね。
(2026年 4月 28日 21時 44分 追加)寛永通宝ってほとんど銅銭だと思っていたんだけど、18世紀なかば(明和期)からは鉄銭が主流だったんだな。
鉄だから錆でなくなってるから、古銭市場に出てこないだけか。
(2026年 4月 28日 21時 47分 追加)古寛永と文銭はほぼ重量1匁で銅質もよかったんだけど、それ以後の新寛永は小型化、低質化が進んだみたいですな。
材料費、人件費などの高騰で、やむをえなかった感じですね。
(2026年 4月 28日 21時 55分 追加)推測ですが、新寛永の時代、書体で鋳造地があきらかになるようにして、責任の明確化をしたのではないのだろうか?
新寛永からいろいろ鋳造地がズルをするようになりだしたので。。。
新寛永はかなり書体が意図的に彫られている。
古寛永の時代は銅が安く豊富にあったから、そんなに意識しなくてよかったんだろうけど。
(2026年 4月 28日 22時 06分 追加)岡山市二日市銭座跡からは
縮寛(称井之宮銭)
俯永手(称仙台)
正永高頭通(称坂本)
正字(称水戸)
不草点(称芝)
って感じで出てきてるんで、おそらく、古寛永の時代は書体で製造地を区別しようとする意図はなかったはず。
幕府から送られてくる手本銭を参考に作っていただけだと思う。
ですので、古寛永は書体で製造地を区別するのは不可能。
(2026年 4月 28日 22時 14分 追加)新寛永の時代はズルをしてるから、同時期、同銭座で製造されたものでも、組成が違う可能性は大いにありますね。
(2026年 4月 28日 23時 03分 追加)明和2年から民間請負方式から金座、銀座の差配方式に変えたみたいですね。
(2026年 4月 29日 1時 46分 追加)金座、銀座が差配したから
水戸鋳銭座資料2冊金局公用誌 : 鋳銭場関係資料2冊
が残ってるのか。
実際は全銭座にあったんでしょうね。