
中原中也詩集 (岩波文庫) 中原中也/著 大岡昇平/編
世間では中原中也という詩人を、なにかメルヘンチックな叙情詩人と見ています。例えば「ひとつのメルヘン」、「朝の歌」「汚れちまった悲しみに」等が代表的な作品でしょう。しかし、読み込めば読むほど、彼は詩人になったのではなく、詩人として生まれてきた人間です。だから、日本を代表する知性と呼ばれた「小林秀雄」も、中原を長谷川泰子との関係を無視しても、小林は詩人中原を看過出来なかった。小林はその根本では詩人の魂を持って生まれた文学者でした、しかし彼は散文しか書けなかった、というよりも詩人になるにはあまりにも理知的でありすぎたのです。だからこそランボウの散文詩中心の「地獄の季節」を見事に描ききっています。あまりにも見事過ぎて小林ランボウとして別作品としてみなされているくらいです。
だからこそ、中原中也といういとも簡単(そう見えるほどに)に自由に唄う詩人、生きる詩人と生まれ生身の人間としての存在に、複雑な感情を抱き続けました、中原と小林という全く異なる存在として両者は愛憎入り混じる関係だったのです。
私は日本では、詩人と言えるのは、中原中也、宮沢賢治、谷川俊太郎の三人しかいないと思ってます。三者に共通しているのは唄うことできるということです。語るのではなく、唄うこと、詩人はそれにつきると信じます。
中原中也の作品は、実に多彩な作品も多いです、うろ覚えですが、例えば
『風が立ち、波が騒ぎ、無限の前に腕をふる』
『ゆふがた、空の下で身一点に感じられれば 万事において文句はないのだ』
『随分 今では損なわれってしまっているものの 今でもやさしい心があって、こんな晩ではそれがしづかに呟きだすのを、感謝にみちて聴いているのです 感謝にみちて聴いているのです』
いずれも長い詩からの抜粋ですが、徐々に、単なる叙情詩人から脱却する気配も感じられます。彼は三十歳そこそこで夭逝します。もし、人並みの寿命をまっとうしていればと思わずにいられません。
購入された方には、作品でこれだけは心して読んで欲しい、頁に付箋(ポストイット)を貼ってお送りします。
商品の状態
ヒヤケはあるものの、商品自体は通読に関しては問題ありません。