全て森山の代名詞とも言える「光と影」のタイトルの写真集からのスピンオフで、写真集は海外キュレーターの目線で編集されており、特に海外で撮影されたイメージも多めに収録された、
宇多田ピカソ写真集【写真集の為の覚書】
『モノクローム裁判:プリントの逆襲』
舞台は東京地裁第7法廷。
壁には大判の「犬の記憶」がずらりと掛けられ、照明がやたらドラマチック。
裁判長は白髪交じりの老紳士、カメラ好きが高じて週末はライカでスナップを撮るタイプ。
法廷の空気はすでに「写真展」だ。
【開廷】
書記官:「これより、写真家・森山大道氏の“プリント真贋訴訟”を開廷します!」
傍聴席には、写真評論家、学芸員、そしてなぜかマニアが集結。
フラッシュが焚かれるたび、裁判長が目を細める。
【原告側】
森山大道氏の元助手。
「これは大道さんの“オリジナルプリント”ではありません!
印画紙のトーンが違うんです!嗅いでください、ほら、この匂い!」
裁判長:「……法廷で印画紙を嗅ぐのはやめなさい。」
【被告側】
森山大道(本人)。
「俺の写真はね、コピーしても俺の匂いが残るんだよ。」
裁判長:「(うまいこと言うな……)」
被告弁護士が続ける。
「先生は“複製もまたオリジナル”と述べております。プリントの境界など、曖昧なものです!」
【証拠提出】
裁判官の机の上に2枚の「三沢の犬」が並べられる。
Aはオリジナル、Bは助手が焼いたもの。
裁判長はうんうん唸りながら両方を見比べる。
裁判長:「どっちも……犬だな。」
傍聴席、ざわつく。
評論家A:「光が違う!」
評論家B:「いや、これは“森山の呼吸”が感じられる!」
評論家C:「私は犬派ではない。」
【判決】
裁判長、ハンマーを軽く叩きながら宣言:
「本件、AもBも“森山的”である。
すなわち——両方とも本物であり、同時に偽物でもある!」
傍聴席「おお〜っ!」
大道氏、静かに笑う。
「ほらね。俺の写真は、真贋を超えてる。」
元助手、悔しげに叫ぶ:
「じゃあ私は何を焼いてたんですか!?」
裁判長、やや照れながら:
「……友情、かな。」
(法廷爆笑)
【エピローグ】
その後、「裁判長が認めた偽物」シリーズが限定50部でギャラリーから発売され、
瞬く間に完売。
新聞見出し:
「真贋超えて売上倍増──森山大道、またも写真界を煙に巻く」
大道氏、取材陣に囲まれて一言。
「写真って、ピントよりタイミングだろ?」
──カメラのシャッター音。
──画面は暗転。
【完】
本来 1960年代から 公道とは異なる側道、 隧道 あるいは バイパス
公道ではない 邪道なのに 彼の名前は 大道 という 認知的不協和を起こすのに十分な 要素が揃っていた。
カメラ毎日 編集長の 名物男 山岸によって初めて 紙面を与えられた、 また当時の プロボークの 同僚だった 中平卓馬との 活動により 当時 絶大な人気のあった 寺山修司との 知行を得る、また 彼の恩師である細江英公が写真学校の中では唯一写大の先生だったので 森山のプリントを一括 宣伝 購入する 離れ技をやってのけた。
これだけでも十分 彼はもう レジェンドになっているのだが 、これは明らかに 実力以上の幸運が彼を そこまで押し上げたということだろう
特に 中平との関係 寺山との関係で言えば、どう考えても ちんちくりんの森 山は 一兵卒でしかなかった。
周りの 五香 を利用し 巨大なポスターを作り 繰り返し繰り返し自分を大きく見せることに成功し、またプロパガンダ 自己プロデュース を徹底して行った.
結果彼は30代半ばで すでに大物感を 演出することに成功していた、 同時に 若すぎた彼は 反発を身内からもたくさん招いた ということで写真の 限界も 早めに 訪れた
からの限界については なかなか面白い論がある 、今回は触れないでおくでは またお会いしましょう
(2025年 11月 18日 21時 54分 追加)『北の狗の街で 私の写真を撮らないでください
私はそこにはいません
千の狗になって世界を彷徨っています』
私の名前は彷徨う幇間狗です、
記録より記憶に残りたい
美術館の壁は小便するのに向いてます、
世界中の美術館で壁に小便をするのが大志です、
本当は大便を排泄したいのです