
巨匠 ■森山大道氏撮影のエデイトリアル ☆写真印刷物5点 2025年 1点額装込み
額装は1点です、写真は計5点になります
1990年代の 東京、渋谷で撮られた 「写真」
写真学校当時ではない雑誌でかっこよく撮られた風景画です!
果たして、 これは渋谷の 表層なのか あるいは 森山 大道の脳みそ の表面 なのか?
ただのくず 写真なのか あるいは精一杯背伸びした ゴミ 写真のなれの果てか? 美術館の壁にでも張り付いて考えてみよう
(2025年 11月 18日 0時 17分 追加)本来 1960年代から 公道とは異なる 邪道 あるいは バイパスの隧道
公道ではない 大道、 邪道なのに 彼の名前は 大道 という 認知的不協和 を起こすのに十分な 要素が揃っていた
カメラ毎日 編集長の 名物 山岸商事によって初めて 紙面を与えられた、 また当時の プロボークの 同僚だった 中平卓馬との 活動により 当時 絶大な人気のあった 寺山修司との 知行を得る、また 彼の恩師である細江英公が写真学校の 中では写大の先生だったので 森山のプリントを 一括 宣伝 購入する 離れ技をやってのけた。
これだけでも十分 彼はもう レジェンドになっているのだが これは明らかに 実力以上の幸運が彼を そこまで押し上げたということだろう 特に 中平との関係 寺山との関係で言えば、どう考えても ちんちくりんの森 山は 一兵卒でしかなかった。
周りの 五香 を利用し うまく自分を 大きく見せることに成功しまたプロパガンダ 自己プロデュース を徹底して行った
結果彼は30代半ばで すでに大物感を 演出することに成功していた、 同時に 若すぎた彼は 反発を招いた ということで写真の 限界も 早めに 訪れた
からの限界については なかなか面白い論がある 今回は触れないでおく では またお会いしましょう